人と衝突し、傷つけあって終わるのか、循環して変わるのか。その違いを生むものは?

   

SONY DSC


長い間、誰かと共同生活をすることの醍醐味。

その1つにあるのは、
衝突があることだと思います。

衝突というのは
お互いの主義・主張が
ぶつかり合うようなイメージがあるかもしれませんが、

私のイメージとしては

交換することができる何かを持っている相手と
交換するチャンスがきた
ということだと思っています。

日常の中で
友達といっても限られた時間の中で会うことが多いですよね。

ということは言い換えれば、
そのとき用の自分を演じられる、ということ。

もし、自分自身を進化させたいと思うのであれば
そのヒントは、自分が気づいていない自分が表現されている時間
あるのかもしれません。

そして、
その自分で気づいていない自分に気づかせてくれるのが
衝突する相手であり、

衝突が生まれるのは
共同生活の中でこそ。

でも、
衝突が衝突のままでお互いを傷つけて終わるのか
それとも、循環して、交換して、
お互いが成長するヒントを得て終わるのか。

この違いを生むものはなんでしょうか?

私は2015年の春ころに
フィリピンで留学のようなプログラムを運営しており
2ヶ月半の共同生活を送っていました。
 
参加メンバーとは毎日顔を合わせていました。

その中で、
いろいろなことが起こったり、感じたりしましたが
私はこの問いを持って日々を過ごしていました。

その中で浮かんできたキーワードをいくつか
並べてみます。

・循環は、本音を隠していると起こらない
(自分の本音に気づいていないことも含む)

・循環は、信頼関係の土台がない関係性の上では起こらない

・循環は、どちらかの意図だけが存在する関係のときには起こらない

・循環は、真摯に内面を観察しようとするお互いの姿勢がなければ起こらない

・循環は、相手の言わんとすること、奥を聴こうとする
お互いの姿勢がなければ起こらない

・循環は、相手の言っていることに反応している間は、
起こらない

・循環は、本音を伝える勇気を互いに持っていなければ、
起こらない

・循環は、お互い、ではなく、私だけ、を守ろうとしたとき、
起こらない

まだまだ分からないことだらけではありますが、
実践を通して、

互いの深いつながりと、成長が生まれる、
循環するコミュニケーションを追求していきたいと思います。

 - 人間関係・パートナーシップ