すごく近い関係になった人へ感じた怒りから受け取れる2つのギフトとは?
すごく近くなった関係の人に対して
怒りが湧くようになったとき、
その怒りの奥には
自分からのメッセージと、
同時に
相手への感謝の2つが隠れていると思う。
しかし、
その怒りを相手のせいにしていると
この2つのギフトを手にすることができない。
まず、相手への感謝というのは、
依存させてくれたことへの感謝である。
依存とは、
言い換えると自分の器に
自分ではない「何か」を入れている
状態なんじゃないかなと思う。
しかし、最初はそれに気がつけない。
依存していたことに
気がつけるのは怒りが湧いたとき。
このときの怒りというのは、
私の本音からの「気づいてくれーー!!」
というメッセージであり、
自分ではない「何か」を頼りにするのではなく、
自分自身を頼りにして欲しいというメッセージだ。
だからこそ、
同時に
そんな私の自立を促す
依存をさせてくれた相手に感謝なのだ。
そして、
「これは違う!」という感覚が湧くことによって
逆に、「これなんだ!」という自分らしさが
ハッキリすることに繋がっているから。
しかし、
このときに「自分からのメッセージに気づいたからOK」
と一方的に相手と距離を取ることは違うと思う。
確かに、
気がつくことで、
距離を取ることになる関係もあるでしょう。
しかしながら、
その気づきを自分だけのものとして
距離を取ることを選ぶこと
と、
その気づきのプロセスそのものを
分かち合って、
感謝を伝えた上で
私たちとして、どうしていきたい?を創造し、
結果として距離を置く
という選択肢が現われるのとでは
全く意味合いが変わってくる。
自立に見せかけた孤立の道を歩むのか、
私たちという中の私を生きているという
本当の自立の道を歩むのか。
そして、
どちらの道を選ぶのかによって
次に出会う人は変わってくる。
自分自身からのメッセージに気がつくことは
比較的優しいかもしれないけれど、
それを分かち合うところは
なかなかハードかもしれない。
でも、そこに
あなた自身の等身大の人との向き合い力が
現れてくる。
本当の愛が試される。
そんな風に思っています。