父親から一番欲しいものをもらうことができました。

   

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父から一番欲しいものをもらえた。

 

約1年振りの今回の帰省で
一番の収穫はこれだったのかもしれません。

詳しくお話する前に
まずは父と私の関係について知ってもらった方が
より伝わるので紹介させてくださいっ。

 

****
 
「私にとって父とは何でもない存在でした。」
 

私にとって父は物心ついた頃から
ある意味不思議な存在でした。
 
何をしている人なのか、リアリティがない。
 
大学の仕事といってもイメージがつかない、
それよりも家で休んでいるイメージの方が多い。
 
父が自ら仕事のことを話すこともない。
母に教わることもない。
 

そして、
私自身も質問するというシナプスが通っておらず、
 
近いような、遠いような、かといって
決して関係が悪いわけではない不思議な存在。
 
それが父でした。

 

約7年前、惣士郎さんに問題提起してもらってから、
見直し始めた父親との関係。
 
家族なんだけど、つながりを感じない存在。
 
仲が悪くないんだけど、
 
「どんな存在?」
と聞かれても何も出てこない存在。
 
そんなあるようでなかった、ないようであった
父親との関係に取り組み始めてから、
水面下で種が育ってきたのでしょうか。
 

2014年。

お盆に一緒に墓参りにいったときには、
父の人生の転機についての話を。

父がアフリカにいくために東京によって
一緒にご飯を食べたときには、ルワンダでの活動についてを。

(父は大学の先生なのですが、
数年前からJAICAのプロジェクトを受託しルワンダに
障害者向けの学校を作る活動もしています。)
 

今までだったら、
交わせなかった会話を重ねることができました。
 

そして、
2015年6月末
カミギン島での出来事。
 
惣士郎さんの何気ない一言から、
私の父親についての認識は一変することになりました。
 

「いっしーのお父さんはグローバルリーダーなんだね。」
 
「グ、グローバルリーダー??」
 

もちろん、言葉の定義はさまざまかと思うのですが、
世界をフィールドとして、人を導く活動をしている人のことを
グローバルリーダーと呼ばせてもらうならば、
 

「確かに父親はグローバルリーダー、かもしれない。」
 
「あれ、オレのオヤジはグローバルリーダーだったのか?」
 

こんな風に思考が進み、
至った結論。
 
オヤジはオレが生きたいと思っている生き方
(全部ではないが)をすでにしている人だったのか、、、。
 
し、知らなかった。。
 
このとき、
父親に対して、
初めて、
生まれて初めて

カッコいい。

という感覚が芽生えたのです。
 
人間は面白いもので一回、シナプスが通ると
どんどん強めることができます。
 

ルワンダという土地の過酷さ。

そこに1人で行き、人と出会い、
関係性を築き、かつ続けているという事実。

オヤジはすごい人だったのか。

どんどんそう思えてくる。
 
そして、不思議なことに、

とっても不思議なことに、

父親をカッコいいと感じられる自分は
なんて幸せなんだと思い始める。

いつの間にか、尊敬の念が芽生えている。

本当に不思議なもんです。
 

****

 

これが2015年の9月20日に
Facebookに投稿していた内容でした。
 

そして、
時間軸を今に戻します。

 
私の母親は
心配するネタを見つける達人です。

表れは別としても
私に意識を向け続けてくれているという意味では
有り難いことです。
 

とはいえ、つい最近まで、
心配され続けることが
いつまでも子ども扱いされているように感じて
とっても頭にきていました。
 

でも、
1つが良くなっても
また別の心配を見つけてくれるので
 
「母はそういう人なんだ」と理解し、
相手を変えようとしないことが
 
お互いの精神的な健康にとって
とても大事なことだと学びました。
 

(※こちらについては、
数ヶ月前になぜか両親との関係性について

探求、見直すタイミングがあり、
その結果、この感覚が腑に落ちました。

そのプロセスについては
別の記事にアップする予定です。)
 

とはいえ、
たまに「分かってほしい」が出て
イラッとしてしまいますが、それはご愛嬌。
 

今回、帰りがけに母に心配され、
イラっとしてしまったのですが、
 
父が駅まで車で送ってくれるということで
車中で話をしました。
 

そのとき
自然と母の心配の話になって、
ふと思い立って
 
「親父はオレのこと心配?」
 
と聴いてみたら、
すぐさま
 
「いや、心配じゃない。
もう大人なのだから。」
 
と答えたのです。

 
こう書くと
ぶっきらぼうな印象かもしれませんが、
 

帰りのバスに揺られながら
身体にじんわりとくるものがありました。

 
「そうそう。
オレが欲しかったのはそれなんだよ。」

 
無関心さが伝わってくる「心配じゃない」だったら、
このあたたかさを感じることはできなかったと思うのですが、

 
父の言うそれは
「お前なら大丈夫」
に聴こえました。
 
父から私についてどう思うかを聴いたのは
これが初めてでした。

 
「そうそう。
オレが欲しかったのはそれなんだよ。」
 
親からずっと一番もらいたかったものを
もらえた気がしました。
 

もちろん、
これらはすべて主観なのですが、

私は親に心配されている存在なのか、
私は親に大丈夫だと思われている存在なのか。
 
自分が自分をどう思っているのかは
大きく影響すると思っています。

 

母はよっぽどのことがない限りは
「私を心配する」という形で
愛情を与え続けてくれるだろうけれど、
 
父とは、これからまた違った関係が
築いていけそうな気がする。
 
父の言葉と、
この予感が今回の帰省の一番の収穫だったような
気がしています。
 

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