私たちは愛をどこで学ぶのか。女性支援への想い。
2016/10/01
※ハワイ島マウナケアからのぞむ、ご来光
私は20代のころは、
「自ら愛することができるリーダーのコミュニティを拡げること。」
という意図を持って活動していました。
なぜそう思ったのかというと、
人は愛されたという自覚がないと、
誰かを愛するということができないと感じたからです。
そして、
この愛とは、耳障りがいい言葉とかそういうことではありません。
例え相手にとって耳が痛い言葉でも、
想いを持って伝えること。そこにあるものが愛だと思っています。
私は就職を機に
地元である宮城県仙台市を出て
東京に来ました。
当時、
東北を教育で元気にしたいという夢がありました。
その夢を
語り合ったりする仲間を求めて、
土日も交流会に参加していました。
そこで、
紹介を通じて出会ったのが
惣士郎さんと、ドリームワークカレッジの仲間たちでした。
その後、
スクールに通ったり、
休みの日にあったりすることで
仲良くなっていきました。
自分の中では
同じ価値観で話せる仲間を得たという感覚がありました。
その後、
私は会社を辞め、
起業家育成スクールの立ち上げに向けて動き始めました。
そのときに
惣士郎さん、ピースさんとの関わり、
そして人生で初めてルームシェアをして、
人と深く関わり続ける経験をしたこと。
この経験がとても大きかったのだと思います。
惣士郎さんが以前やっていたコミュニティ「ゆかい村」では、
コミュニケーションを大事にすることを土台に置いていました。
感じていることを伝えることや本音を出すということ。
心理学を学んだりもしていました。
そういった、
前提のもと、
生活を共にする中で、
おそらく
大学時代までは言われても耳をそむけていた直言、
本当は批判じゃないけど、批判に捉えてしまっていたことを
言ってもらう機会も増えてきたんです。
それはそうですよね。
別々の人間が一緒に暮らすということは、
距離が近づくということは、
摩擦が生まれないわけがありません。
きっと、
今までは摩擦が生まれても、
自分の好きなように丸め込んでいたり、
聞く耳をもてなかったんだと思います。
「あなたにオレの何が分かるの?」
って、勝手に判断してね。
でも、
そのときの経験ではそうはいきませんでした。
プロジェクトも一緒にしていたし、
一緒に暮らしていたので、
いい意味で逃げ場がなかったからです 笑
しかし、
今では直言してくれた仲間に
とっても感謝しています。
そのおかげで
自分の殻が破れ、
人とのつながりが
人が自分に向けてくれているものが
さらに感じられるようになったと思うから。
私自身が、
スクールというコミュニティで継続的に、深く関わったことで
条件ではなく、愛されるという感覚を味わえたことから、
家庭でも愛はあり続けたけれど、
そこだけでは気づけなかったように、
他にも、
「家庭にある愛に気づくことが
できていない人がいるんじゃないか」、
「寂しいという思い込みを持っている人がいるんじゃないか」
「自ら愛するという
ポテンシャルがまだ目覚めていない人がいるんじゃないか」
そんな風に思ったのです。
家庭でその機会がないとしたら、
どこでその経験をすることができるんだろう。
そう思ったときに、
会社はもちろんそうだと思いますが、
スクールというある種の方向性を持った
コミュニティがその役目を担っているように思ったのです。
そして、
そのスクールの中心たるリーダーが、
自ら愛する力を持っている方、
言い換えれば人に生きる活力のスイッチを入れられる方、
であれば、
そこに行った人は、
愛されるを感じ、そして、自ら愛するをできるようになる。
そんな風に思い、
20代はこの人は自ら愛せるリーダーだ!と感じた方の
プロジェクトを拡げるという意図を持って続けていました。
なぜ、女性支援をしているのか?
よく聴かれる質問なのですが、
私は上記のリーダーのような、
自ら愛せる、愛するを繋いでいける女性を、母を増やしていきたいと
思っているからだと思いました。
言い換えると、
本当のところで人と繋がれる力と言えるかもしれません。
相手の殻をカチ割れる力かもしれません 笑
その力でもって子どもに愛するエネルギーを注入し、
躾の前に大事とされている生理的欲求を満たすこと。
深く人と繋がるということを
自らが手本となって伝えていくこと。
そんな土台がしっかりしていれば、
そんな人間関係が育まれていれば、
社会がどのような形になったとしても、
適応していける。
そんな風に思っています。
追伸、
6月18日(土)に、
自ら愛せる、愛するを繋いでいける女性の育成をされ続けている
素晴らしい方の講演会を主催します。
今回の投稿がピンときた方にはぜひ
来ていただきたいです。
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