映画「ずっと、いっしょ」を観て。親子関係は循環していくもの!?

   

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これ、正直、ネタバレになるので
映画「ずっと、いっしょ」を観てない、観たいという人は
読まないでください 汗

***
ある60代の男性は、
長年連れ添った妻をガンで亡くされました。

広い家に1人。
しばらくは哀しみに打ち拉がれて

「このままじゃいけない」

と思いながらも、
毎日の様に涙を流していました。

しばらくそうしていく内に、
男性の中にある想いが湧き上がります。

「またバイクに乗りたい」

その男性の趣味は
ハーレーに乗ることでした。

60を過ぎて
乗るのは危ない、と思いながらも
「そうしたい」という
気持ちに素直に新車を購入することにしました。
 
しかし、
問題は娘たち。

絶対反対されるんじゃないだろうか。

そう思いながら
娘夫婦、孫たちと一緒に
BBQをしているときにこう切り出すのです。

「またバイクに乗りたい!」

その姿はまるで
子どものようでした。

怪訝な顔をする娘たちですが、
未来に進もうとしているお父さんを応援したい。

そう感じていました。

「危ないから絶対気をつけてよね。」
そういう娘さんに
男性がポロッとこぼします。

「いや、まぁもしものことがあっても
この先みんなに迷惑かけなくてすむからなぁ」

この言葉を聴いた
娘さんの表情が一変、

「なんでそういうこというの!!
心配している人がいるってこと絶対忘れないでよねっ!!」

と怒っていました。

***
私は、
この様子を見たときに

もう娘さんが親で
お父さんが子どもみたいなもんだなぁと
思いました。

そして、
どこかのタイミングで
子どもと親は役割を交換するのかもしれない。
 
親は親を卒業して
子どもに還るのかもしれない。

そんなことを
感じました。
 
なんだかそのバトンタッチは
とても素敵なことだな〜と思うんですよね。

 
私は人が出会うということは
そこに交換し合えるものがあるから出会っている
考えています。

そして、
「私」と「父」、「母」の間にも
交換する何かがあると思っています。

それは、
物理的なものというより
精神的なものかもしれません。

私たちは「親は、気づいたら親として存在していた」ということで
親と出会うというプロセスは無自覚だったと思いますが、

様々な囚われに気づいていく中で、
親と本当に出会うタイミングがあると思っています。
(親を今の5感で、ちゃんと見て、聴いて、感じること)
 
私は最近、
本当の意味で親に出会うことができてきたなぁって
思うんです。
 
このあたりのエピソードはまた別の機会にでも
ご紹介したいと思っています。
 
少なくとも私にとっては
親と対話を通じて、交換できたという
感覚が得られること。
 
それが最高の親子関係だったと
感じられるために大事なことだと感じています。

 

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