根本的に変わるために大切なのは、疲れ果てること
根本的に変わりたければ
「今」に疲れ果てやがれ。
あーーーぁ、
今という結果を生み出している私、
言い換えればそのパターンを繰り返している私に
疲れ果てなければ、
果てなければ、
そのサイクルを
超える、爆発力が生まれないんだなぁ。
故に
同じサイクルが続くことになる。
つまり、
疲れ果てるまでは、
その人はやりたくて
そうしているのだ
ということ。
一見、
悩み相談の体をなしていたとしても、
実は超越の方向性へ
いく気がない場合ってたくさんある。
たいてい、
その相談の本音は別なところにある。
ウソをついて人を巻き込もうと
するんじゃね〜ぞ
本音を
素のまま真っ直ぐに出せたらいいのにね。
あなたのウソに1分1秒とも
付き合いたいと思わないが、
あなたが本当を表そうとするなら
いくらでもその現場に立ち会いたい。
だから、
そういう意味では
表面に寄り添うことなどいらないのだ。
思っていないことを
言う必要はないけど、
もし仮に
「何言ってるのか分からん。」
そんなことが湧いてきたら
それをそのまま伝えること。
それが
大事なんだな〜。
この文脈で言う愛とは、
疲れ果てた、
怒りが込み上げてきた
そこから
先を伴走するということなのだ。
疲れ果てるまでは
勝手にやっていてくれと、
あなたのドラマの出演者になるつもりはない
という表明。
もし
仮にそう関わって
相手が怒り出すとする。
「おめでとう!
ここからやっと始まるね。」
そう
言える人でありたい。
あーーぁ、
かくいう私も
(どうでも)いい人やってましたわ。
自分が自分を疲れさせる「いい人」
をやめた方が、
自分にも相手にも
本当はためになっているのであーる。