メンター・ロールモデルの人に近づいて幻滅したことがある方へ

   

 

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人間だもの、
近づけば近づくほどその人の陰が見えることになる。

でも、その正体は・・・。

 

メンターや素晴らしいと感じる人であっても、
人間だから、陽だけじゃなくて陰もある。

だから、
最初は憧れて近づいていっても、

ある一定のボーダーを超えると
あれ?って思うようなことが見えてくる。

人間関係における
陰との出会いだ。

このギャップに落胆して
踵を返すように去っていく人の方が多いと思っている。

 

残念。

 

真価が問われるのは
ここからなのに。
 

相手を見たときに
陰を感じたとき

よーく自分を観察していくと

実はそれは
相手に問題があるのではなく

自分の中に
それを陰だとする観点があることに
気がつくことができる。
 

つまり、
去っていった人は
メンターの陰を見て去っていったのではなく

メンターに映し出された
自分の陰から去っていったのだ。
 

ということは、
その人はまた別の誰かと
同じテーマに取り組むことになる。

もちろん、
そのときに取り組まなかったことも
完璧な流れとも言えるけれど。
 

もし、
陰が見えたとしても、

そのままよーく見て、聴いて、感じて
関わり続けていくとどうなるか。

(厳密には
適切な自己探求のプロセスがあるのだけど)

関係性が変容する
タイミングが来る。
 

そして、
その変容した関係性になった後の私は
その前の自分とは別人のようになる。

(今まで反応していた陰に
反応しなくなるので
別人と言えば別人。)

これはあらゆるパートナーシップにおいて
起こりえることだと思っています。

仕事だけではなく
恋愛・家族関係においても。

 

私は
ご縁ある人とは
必ず何か交換するものがある
思っています。

ここで言うご縁とは、
「何か」自然と繋がる関係のことです。

繋がろうと頑張って繋がるものではなく、

手を繋ごうと思っていないのに
実は手を繋いでいた。

そんなイメージのものです。

 

もし
今そんな関係の誰かがいて
陰を感じることがあったら

遠ざかろうとするのではなく、

そこに自分を観て
さらに深く自分を理解するキッカケにすることを
オススメしたいです。

 

追記)

そして、
こんなプロセスに
共に取り組み合える人がいたとしたら

それはそれは有り難い友だと思うのです。
 

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